
ハロウィンと同じ季節にあるもう一つの行事

10月になると、SNSやテレビでハロウィンの話題があふれます。
渋谷区の対応がニュースになるのも、すっかり秋の恒例行事のようになりました。
街には魔女や吸血鬼、かぼちゃの着ぐるみなど定番のコスチュームを着た人や、様々なコスプレ衣装を身にまとった人たちが集まり、にぎやかな雰囲気に包まれます。
日本では「ハロウィン=仮装を楽しむ日」として定着していますが、本来は古代ケルトの「サウィン祭」に由来し、悪霊を追い払う行事でした。
死者が戻ってくる夜を恐れ、魔物の格好をして身を守る――そうした宗教的な意味合いがあったのです。
そんなハロウィンと同じ時期に、メキシコでは「死者の日(Día de los Muertos)」という、もう一つの命にまつわる行事が行われます。
こちらは、仮装して騒ぐ日ではなく、亡くなった家族や友人を迎えるための大切な日です。
映画『リメンバーミー』が伝えた死者の日の心

映画『リメンバーミー』を観たことがある方は、きっとあの色鮮やかな世界を覚えていることでしょう。
ギターの音色とともに、マリーゴールドの花びらが舞い、亡き家族と再会するあたたかな光景。
あの物語の背景にあるのが、まさにこの「死者の日」です。
メキシコでは毎年11月1日と2日に、亡くなった人たちが家に帰ってくると信じられています。
家族は祭壇を整え、花や食べ物を捧げて迎えます。
悲しみではなく再会を喜ぶお祭りです。
このれは、日本のお盆にも通じる風習、文化だとおもいます。
アステカの信仰とカトリックが混ざり合った文化
死者の日の起源は、アステカなどの先住民の信仰にさかのぼります。
彼らにとって死は終わりではなく、自然の中でめぐる生命の一部でした。
魂は季節とともにこの世に戻り、家族と再会すると信じられていたのです。
16世紀にスペインがメキシコを支配した際、カトリックの「諸聖人の日」が「死者の日」と融合し、現在のような形になったと言われております。
つまり、死者の日は単一の宗教行事ではなく、文化と文化が混ざり合って生まれた“魂の祭典”です。
家庭では「オフレンダ(供物台)」と呼ばれる祭壇を設け、故人の写真や好きだった料理、ろうそく、花などを並べます。
特にマリーゴールドの花は、太陽を象徴する花として、魂が戻るための道を照らす“導きの光”として欠かせません。
花の香りが魂を誘い、キャンドルの灯りがその道を照らす。
そんな幻想的な光景が、死者の日の夜を包みます。

ペットのための「死者の日」
実はこの死者の日の少し前、10月27日が“ペットの死者の日”として知られているのをご存じでしょうか。
まだあまり知られていませんが、近年メキシコを中心に広がりつつある新しい風習です。
人間と同じように、家族として暮らした動物たちの魂を迎え、思い出すための日として位置づけられています。
伝統的な死者の日の儀式に含まれていたわけではなく、近年になってSNSや愛護団体などを通じて生まれた現代的な慣習といわれています。
「人の死者の日の前に、ペットたちの魂が先に帰ってくる」と考える人も多く、10月27日に祭壇を整えてペットを迎え、そのあと人の家族を迎えるという形をとる家庭もあります。

ペット用のオフレンダには、お気に入りのおやつやおもちゃ、首輪などが並びます。
日本でも写真立てや花を飾り、「思い出す時間」を作る方が少しずつ増えています。
メキシコでは祭壇の前で歌や音楽を奏でることもあり、悲しみよりも笑顔が似合う供養の形です。
それは「もう一度会えたね」と語りかけるような、あたたかな再会の儀式でもあります。
ハロウィンとの違い
ハロウィンは“霊を遠ざける”行事であり、死者の日は“霊を迎える”行事です。
亡くなった家族を怖れるのではなく、愛し、懐かしむ。
どちらも死を意識する行事でありながら、方向性は正反対といえるでしょう。
文化の違いが、「死」と「生」の向き合い方を映し出しています。
日本のお盆との共通点
日本にも「お盆」という先祖を迎える文化があります。
お盆の起源は仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)にありますが、もともとは日本古来の祖霊信仰と結びついた行事でした。
迎え火や送り火、灯籠流しや盆踊りなど、霊を迎え、もてなし、また送り出すという流れは、死者の日と驚くほど似ています。
お盆では静かに祈り、死者の日ではにぎやかに祝う。
形は違っても、どちらも「愛する存在を忘れない」という想いが根底にあります。
亡くなったペットちゃんを思い出す日がいくつあってもいい
私は、亡くなったペットちゃんを思い出すイベントは、いくつあっても良いと思っています。
お盆や命日だけでなく、その子が家に来た日や一緒に旅行した日など、特別な思い出の日を「小さな供養の日」として過ごすのも素敵だと思います。
花を一輪飾ったり、おやつを少し供えたり、思い出の音楽を流すだけでも十分。
それがその子を思い出すきっかけになり、自分の心が少しあたたかくなるなら、それは立派な供養の形だと思います。
供養というと、仏式でなければいけないとか、宗教的な手順が必要だと思われがちですが、本来は「想いを形にすること」。
その方法は人それぞれで、時代や暮らし方によって変わっていくものです。
伝統を大切にしながらも、自分の感性で“ありがとう”を伝えることができれば、それで十分なのではないでしょうか。
ありがとうを伝えるという供養
ぜひ、思い出すときには「ありがとう」という言葉を添えてほしいのです。
生まれてきてくれたこと、一緒に過ごした時間、寄り添ってくれた毎日。
そのすべてに感謝の気持ちを込めて、「ありがとう」と語りかけてみてください。
たとえ声に出さなくても、その想いはきっと届きます。
感謝の言葉は、亡くなった子への祈りであり、自分の心を癒すための小さな灯です。
メキシコの人々が音楽と花で故人を迎えるように、
私たちもそれぞれの方法でペットちゃんを思い出していい。
静かに手を合わせる日があってもいいし、明るい気持ちで写真を眺める日があってもいい。
悲しみを癒やす時間が、そのまま感謝の祈りになる。
それこそが、現代の“ペット供養”のあり方だと思います。
おわりに
死者の日は、死を恐れず、命を祝う日。
お盆は、霊を迎え、静かに祈る日。
どちらの文化にも共通しているのは、「亡き存在を思い出すことが、生きる力になる」ということです。
亡くなったペットちゃんを思い出す日が、カレンダーの中にいくつあってもいい。
それが仏教でも、キリスト教でも、メキシコの風習でも構いません。
大切なのは、思い出し、語りかけ、心の中で再び出会うこと。
そして、そのときには「ありがとう」と伝えること。
供養とは、命の記憶をつなぐための“やさしい習慣”なのだと思います。



