コロナ禍で増えたペットと、変わる家族の関係

ペットメモリアル ドマーニを立ち上げたのは2022年。
静岡県牧之原市を拠点に、訪問型のペット火葬を行っています。

コロナ禍をきっかけに、ペットを家族に迎える方が増えました。
犬や猫だけでなく、フェレットやインコなど、さまざまな動物たちが人の暮らしに寄り添うようになりました。
昔のように犬を外でつなぎ、猫を外へ自由に出す時代ではなくなり、今では一緒に食卓を囲み、同じ部屋で眠る――まさに家族そのものです。

それだけに、別れの時の悲しみは深く、ペットロスに苦しむ方も少なくありません。
「ペットも人と同じように、きちんと見送りたい」
そう願う人が増える中で、私自身も命について深く考える出来事を経験しました。

大動脈解離で向き合った「死」

2020年、私は大動脈解離という命に関わる病で倒れ、長い入院生活を送りました。
突然訪れたその出来事は、これまで遠くに感じていた「死」を、まるで目の前に突きつけられたように現実のものとして感じさせました。

病室で過ごす日々の中で、これまで出会った命のことをよく思い出していました。
祖父母、若くして亡くなった兄弟、そして子どもの頃に飼っていた犬、家で父が餌をあげていた野良猫たち。
生まれ、そして去っていった命を思い返しながら、「死とは何だろう」と考えました。

そのときに気づいたのは、
「死をどう見送るか」が、その命をどう生きたかと同じくらい大切だということ。
そして、ペットの死の扱われ方が、人とはあまりにも違うという現実でした。

ペットの死は、まだ社会の仕組みの中にない

病床の中、調べてみるとペットのご遺体は法律上「廃棄物」として扱われていることを知りました。
牧之原市、吉田町、御前崎市には行政でのペットの火葬制度がなく、亡くなったペットは近隣の民間業者や自治体に頼むしかありませんでした。

更に調べると、昔はペット火葬は、まさに玉石混交の時代だったと聞きます。
中には、焼き芋の機械を改造しただけの炉で火葬を行っていた例もあったそうです。
それは「供養」ではなく、どちらかといえば「処理」に近いものでした。

しかし、現代のペットはもはや「モノ」ではありません。
一緒に暮らし、声をかけ、抱きしめ、そして何より「心を交わしてきた存在」です。
その命を見送る形は、人と変わらないものであるべきだ――そう思うようになりました。

生まれ育った牧之原で考えた「お見送りのかたち」

牧之原市は、私が生まれ育った場所です。
海と茶畑に囲まれた穏やかな町です。
高齢化が進みましたが、車の運転を止めて免許を返納する人はなかなか増えていません、しかし、自分の運転が怖いということで、運転を控える人たちは増えてきているのが現状です。

散歩をしていると、犬を連れたご年配の方とすれ違うことがあります。
そのたびに考えました。「この人が、いつか愛犬を見送るとき、どうすればいいのだろう」と。

そんなときに知ったのが、移動火葬炉の存在でした。
ペット専用の火葬炉を備えた車で、ご自宅や思い出の場所からお見送りができる。
それは、ペットを家族として見送るという現代の想いに、もっとも自然に寄り添える形でした。

一体ずつ、丁寧に   家族の想いを尊重する火葬

ペットメモリアル ドマーニでは、すべての火葬を個別火葬で行っています。
どの子も一体ずつ、他の子と一緒に火葬することはありません。
火葬中も、ご家族様の「ありがとう」という声が聞こえることがあります。
その声に応えるように、炎が静かに揺れるのを何度も見てきました。

ペットは、ただの動物ではありません。
泣いた顔を舐めてくれた子もいれば、仕事から帰ると真っ先に迎えてくれる子もいる。
その小さな体の中に、家族の記憶が詰まっています。
だからこそ、最後まで「その子らしく」送りたいのです。

訪問火葬で感じる「家族の証」

訪問火葬は、ただのサービスではありません。
ご自宅での火葬を通して、「この子は本当に家族だった」とご家族自身が実感できる時間になるのだと思います。
最後まで見送り、手を合わせること――
それは、ペットが家族として生きてきた証であり、その存在を心で受け止めるための大切な儀式だと感じています。

「ドマーニ」に込めた願い

屋号の「ドマーニ」は、イタリア語で「明日」を意味します。
今日という辛い別れのあとにも、生きていく人間の時間は続いていきます。
その「明日」を少しでも前向きに迎えられるように――そんな願いを込めました。

火葬車には飾りを付けず、清潔な空間を保つようにしています。
お別れに必要なのは、形ではなく心。
家族として過ごしてきた日々を静かに振り返り、「ありがとう」と伝えることが、供養の基本だと思っています。

おわりに ― 家族として見送るということ

ペットが「家族」になった今、火葬は「処理」ではなく「儀式」になりました。
それは、人がペットを家族としてと生きてきた時間をきちんと区切り、次の一歩を踏み出すための時間です。

どの子も一体ずつ、丁寧に、心を込めて。
ペットメモリアル ドマーニは、「家族の命」としてペットを見送る時代のために生まれました。

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