ペットロスは“心の自然な反応”

大切な家族を失ったとき、人は深い悲しみに包まれます。
けれど、それが「人間の家族」か「ペット」かによって、周囲の反応は大きく違ってしまうことがあります。
同じように心が痛み、涙が止まらないのに、「たかがペットで」「また飼えばいいじゃない」といった言葉で片づけられてしまうことも少なくありません。

ペットロスとは、特別な病や弱さではなく、ペットと暮らす人なら誰にでも起こりうるごく自然な心の反応です。
長い時間を共に過ごし、日常の中にその存在が溶け込んでいたからこそ、いなくなった現実を受け止めるのには時間がかかります。
朝の光を見たとき、帰宅しても迎えに来てくれない静けさを感じたとき、食器棚の隅に置かれた器を見つけたとき、ふと胸の奥に込み上げてくる寂しさ。それは、確かに“家族を失った”人間の心の痛みなのです。

家族には忌引きがあるのに、ペットにはない

しかし、社会はその痛みに対して十分な理解を示しているとは言えません。
人の家族を亡くした場合には、忌引きという制度があります。数日から一週間ほどの休みが与えられ、葬儀の準備をし、心を整える時間が設けられます。
けれども、ペットを亡くしたときには、そのような制度はほとんど存在しません。
翌日には仕事に行かなければならず、職場ではいつも通りの表情を求められる。誰にも言えず、泣くことすらためらってしまう。
愛する存在を失った悲しみの最中で、社会との間に深い溝を感じる人は少なくありません。

近年、「ペットは家族」という言葉は広く使われるようになりました。
しかし、それが単なる言葉だけにとどまり、社会の仕組みや制度に反映されていない現状がある以上、真の意味で「家族」として受け入れられているとは言えません。
職場で忌引きの申請ができないだけでなく、周囲の理解を得にくいことも多い。
ペット供養の話をすれば「大げさだ」と笑われ、悲しみを表に出せば「いつまでも引きずっている」と言われる。
こうした空気の中で、多くの人が自分の感情を押し殺し、静かに苦しんでいます。

悲しみ方に“正解”はない

ペットロスの悲しみを癒す方法は、人それぞれです。
時間とともに少しずつ穏やかになる人もいれば、何年経っても涙があふれる人もいます。
悲しみの表れ方は人それぞれですが、その根には、どの方にも深い愛情があります。
心にぽっかり空いた穴を無理に埋めようとすることよりも、その空白を認め、そこにあった愛情を大切に抱きしめることが、本当の意味での「癒し」につながります。

火葬や供養といった儀式には、そうした心の整理の力があります。
儀式として行うことで、喪失という現実を受け止めやすくなり、手を合わせるという行為が、心の痛みを少しずつやわらげてくれる。

手を合わせて拝んでみた最初のうちは、ただ悲しいという気持ちしか浮かばないかもしれません。
けれども、何度か手を合わせるうちに、少しずつ楽しかった日々のことが思い出されてくるはずです。
心に少し余裕が生まれたときには、お線香をあげてみよう、蝋燭を灯してみようといった気持ちが自然に芽生えてくるかもしれません。
そうした小さな行為の積み重ねが、やがて心を落ち着かせ、悲しみの形を穏やかな想い出へと変えていくのです。

供養は、ペットちゃんを想って行うだけのものではありません。
手を合わせ、その子に語りかける時間は、残された自分の心を落ち着かせ、悲しみの中で少しずつ現実を受け入れていくためのものでもあります。
それが、ご供養の本来の意味なのだと思います。

社会が追いついていない現実

一方で、社会全体としてはまだ「ペットロス=病気」「立ち直れない人」といった偏見も根強く残っています。
仕事を休む理由として理解されず、精神的に追い詰められてしまう人もいます。

かつては医療の現場でも、ペットを失った悲しみが十分に理解されないことがありました。
しかし近年では、心療内科やカウンセリングでもペットロスを正式な喪失体験として受け止め、心の支援を行う流れが広がっています。
社会全体がようやく、その悲しみに寄り添う方向へと歩み始めているのです。

ペットを失った悲しみは、決して特別なものではありません。
むしろ、そこには人間の根源的な感情、愛すること、守りたいと思うこと、いのちの重さを感じることが凝縮されています。
動物との関係の中で育まれる無償の愛情は深く人の心に刻まれます。
その絆を見失ったときに心が揺れるのは、当然のことなのです。

悲しみを恥ずかしがらない社会へ

では、私たちはどうすればこの社会的乖離を少しでも埋められるのでしょうか。
まず必要なのは、「悲しむことを恥ずかしいと思わない社会」をつくることです。
悲しみを語れる場、共感し合える環境があれば、人は孤立せずにいられます。
そして、周囲の人が「悲しみを無理に終わらせよう」とせず、静かにそばにいてくれること。
それだけで救われることがあります。

そのために大切なのが、共感力です。
ペットロスの悲しみに寄り添うとは、特別な言葉をかけることではありません。
相手の言葉に頷き、否定せずに受け止め、話を聞く。それだけで心は少しずつほどけていきます。
人は、話すことで自分の考えを整理する生き物です。
「そう思ったんだね」「どうしてそう感じたの?」というやりとりの中で、
自らの思いを言葉にするうちに、気づかぬうちに心の中が整っていくことがあります。

本音を話してもらうには、聞き手の側も心を開き、自分のことを話す必要があります。
互いに安心して言葉を交わせる関係、心理学で言う“ラポール”が築かれたとき、
人は初めて、胸の奥にしまっていた感情を外に出すことができるのです。

人間の心には、本来“自己治癒”の力があります。
けれど、その力を引き出すには、誰かの温かい聞く姿勢が必要です。
ペットロスの支えとは、悲しみを取り除くことではなく、
その人が自らの力で立ち上がれるように、そっと手を差し伸べることなのだと思います。

いつかまた、心の中でその子に話しかけられる日が来るでしょう。
「今日はこんなことがあったよ」「あなたがいなくても頑張ってるよ」
そんな穏やかな日常の中に、悲しみが少しずつ思い出に変わっていく瞬間があります。
それは、時間が悲しみを消してくれるのではなく、愛情が形を変えて寄り添ってくれるからです。

ペットロスとは、命を愛した証であり、決して恥ずかしいものではありません。
そして、社会がその悲しみに対して理解を深め、静かに寄り添えるようになること。
それが、人と動物が共に生きる時代にふさわしい在り方ではないでしょうか。

ペットメモリアル ドマーニでは、ペットロス・ハートケアカウンセラーの教育課程を修了した代表の布施が、ご家族様が言葉にされる想いに静かに耳を傾け、そのお気持ちに寄り添うことを大切にしています。
専門的な学びを通じて得た知識と経験をもとに、ご家族様それぞれの想いを受け止め、言葉にならない思いにも耳を傾けながら、心の整理をそっと支えるよう努めています。

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