火葬車の車検で取れた時間に、北海道へ

5月の末に火葬車の車検で時間が取れたため、北海道に旅行へ行ってきました。
ペットメモリアル ドマーニにとって、火葬車はご家族様のもとへ伺い、ペットちゃんのお見送りを行うための大切な車です。安全に訪問火葬を続けていくためには、定期的な点検や整備を欠かすことはできません。
その車検の間に少し時間ができたことで、以前から行きたいと思っていた北海道へ向かうことができました。
北海道へ行きたいと思った理由のひとつに、漫画『ゴールデンカムイ』があります。
漫画はすでに完結していますが、アニメも完結へ向かっており、作品への思いが改めて強くなっていました。
作品として楽しんでいた漫画でしたが、読み進めるうちに、アイヌの暮らしや食文化、自然との関わり、命に対する考え方にも強く惹かれるようになりました。
漫画ではありますが、その中からアイヌの精神世界を読み取ることもできます。
作品をきっかけに関心を持ったアイヌ文化に、実際に触れてみたい。そう思い、今回の旅ではウポポイにも足を運びました。

ウポポイで触れたアイヌ文化

ウポポイでは、アイヌの暮らしや言葉、祈り、自然との関わりについて触れることができました。
展示や映像を見ながら感じたのは、アイヌ文化の中では、人だけが中心にいるのではないということです。
山や川、動物、植物、火や水、そして人の暮らしの中で使われる道具。
自然の中にあるものや、人の暮らしに関わるものを、ただの物としてだけでは見ていないように感じました。
その感覚に触れた時、私はペットちゃんとの暮らしにも重なるものを感じました。
ペットちゃんは、人間に所有されるだけの存在ではありません。
一緒に暮らす中で、家族の毎日に入り込み、言葉では言い表せないほど大きな存在になっていきます。
何気ない仕草に笑顔をもらい、帰りを待っていてくれる姿に安心し、そこにいてくれるだけで家の空気がやわらかくなることがあります。
それは、人と動物という関係を超えて、家族として過ごした時間そのものなのだと思います。

ゴールデンカムイの表紙カバーにあった言葉

『ゴールデンカムイ』の表紙カバーに、印象的なアイヌ語の言葉があります。
「カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム」(カタカナでは表せない部分もあります)
「天から役目なしに降ろされたものはひとつもない」という意味の言葉だそうです。
この言葉は、アイヌ出身初の国会議員であり、アイヌ文化の継承にも尽力された萱野茂さんという方が、よく使われていた言葉ともいわれています。
作品の中でこの言葉に触れた時にも印象に残っていましたが、ウポポイでアイヌ文化に実際に触れたあとでは、より深く心に残る言葉になりました。
天から役目なしに降ろされたものはひとつもない。
そう考えると、ペットちゃんがご家族様のもとへ来てくれたことにも、きっと何か意味があったのではないかと思えてきます。
あの子はなぜ、その家の子になったのか。
なぜ、ほかの誰かではなく、そのご家族様と暮らすことになったのか。
偶然と言えば、偶然なのかもしれません。
けれど、一緒に過ごした日々を振り返ると、その出会いは偶然だけではなかったようにも感じます。

カムイが姿を変えて訪れるという考え方

アイヌの世界観では、カムイがさまざまな姿となり、人の世界に現れるという考え方があります。動物の姿をして現れるカムイもいれば、自然の恵みとして人の暮らしに関わるカムイもいる。そうした考え方に触れた時、私はペットちゃんとの出会いについて考えました。
ペットちゃんとの出会いは、偶然だったのかもしれません。たまたま訪れた場所で出会うこともあれば、家族に迎える予定ではなかったのに、気がつけば一緒に暮らすことになっていたということもあります。誰かから託されることもあれば、長い時間探して、ようやく出会うこともあるでしょう。出会い方はご家族様ごとに違いますが、共に暮らした日々を振り返ると、その出会いは本当に偶然だけだったのだろうかと感じることがあります。
私自身、恵比寿との出会いもそうでした。きっかけは、SNSで見かけた投稿でした。ペットショップの閉店により、行き場に困る子がたくさん出るのではないかという内容でしたが、実際に訪れてみると、投稿で心配されていたような状況ではありませんでした。それでも、その店で恵比寿に出会いました。
たくさんの子がいる中で、恵比寿は妙に落ち着き払っていました。ほかの子のように強くアピールするわけでもなく、騒ぐわけでもなく、ただ静かにそこにいて、まるで最初から自分が選ばれることを分かっているような雰囲気がありました。
今では恵比寿は、ペットメモリアル ドマーニの福社長として、私のそばにいます。あのSNSの投稿を見たことも、実際に店へ行ったことも、そこで恵比寿に目が留まったことも、偶然と言えば偶然なのかもしれません。けれど、共に暮らす日々を重ねるほど、本当に偶然だけだったのだろうかと感じることがあります。
偶然だったのかもしれない。けれど本当は、カムイがそっと仕掛けた必然だったのかもしれない。あの子は、あなたと暮らすために、この世に降りてきた。
そう考えると、名前を呼んだ日も、ごはんを食べる姿も、眠っている顔も、病気に向き合った日々も、最後に手を合わせる時間も、すべてが意味を持ってるように感じます。

与えられたもの、与えたもの

ペットちゃんとの暮らしを振り返ると、ご家族様がその子に与えてきたものはたくさんあります。
ごはんを用意し、名前を呼び、体調を気にかけ、病院へ連れて行く。暑い日や寒い日には少しでも過ごしやすいように気を配り、老いや病気に向き合いながら、最期まで家族としてそばにいる。
それは、ご家族様がペットちゃんに与えてきた愛情の形です。
けれど同時に、ペットちゃんから与えられたものも、きっとたくさんあったはずです。
何気ない毎日の仕草や、帰宅した時の安心感。一緒に過ごすことで生まれた生活のリズム。寂しい時にそばにいてくれたぬくもり。言葉では説明できない支え。
与えられたものも、与えたものもたくさんあり、その積み重ねが、家族として共に生きた時間なのだと思います。
「天から役目なしに降ろされたものはひとつもない」
この言葉をペットちゃんとの暮らしに重ねると、あの子が家族のもとへ来てくれたことにも、きっと意味があったのだと思えます。
そしてそれは、ペットちゃんだけが何かを与えてくれたという話ではありません。
ご家族様もまた、その子にたくさんのものを与えてきました。
互いに与え合った時間があるからこそ、別れの悲しみも深くなります。
それだけ大切な存在だったということなのだと思います。

イオマンテと、送り出すということ

アイヌの儀礼に、イオマンテというものがあります。キムンカムイ、山の神である熊を、神の国へ送り返す儀礼です。
熊は単なる獲物ではなく、カムイが熊の姿をして人間の世界へ来てくれた存在と考えられていたそうです。そして、人間の世界に肉や毛皮などの恵みをもたらしてくれたカムイを、祈りや供物とともに送り返します。
ペットちゃんのお見送りでも、「また帰ってきてね」という言葉が自然に出ることがあります。
北海道でアイヌ文化に触れたあと、その言葉を改めて考えると、人の世界へ来てくれた存在に感謝を伝え、お供えを添えて送り出し、また来てくれることを願うというイオマンテの考え方と、重なる部分があるように思いました。
もちろん、イオマンテとペットちゃんのお見送りは同じものではありません。それでも、ご家族様のもとへ来てくれた命に感謝を伝え、お花や好きだったごはんを添えて送り出すのは特別な時間となり、「この家で過ごしてくれてありがとう。」「また縁があれば帰っておいで。」そんな気持ちを込めて送り出すことができれば、それはご家族様らしい、温かなお見送りになるのだと思います。

ヒグマと蝦夷鹿の串焼き 自然の恵みに感謝

供養とは、感謝を伝えること

ペットメモリアル ドマーニでは、特定の宗教に沿ったお見送りは行っておりません。
今回のコラムで触れたアイヌの世界観も、信仰として勧めたいということではありません。
北海道でアイヌ文化に触れ、「天から役目なしに降ろされたものはひとつもない」という言葉を改めて心に置いた時、私自身が感じたことを思いのままに書いています。
ドマーニでは宗教という形に限らず、命に感謝を向けることを大切にしています。
供養とは、難しい作法を整えることだけではないと考えています。
一緒に過ごした日々を思い返し、その子が家族に与えてくれたものを受け止め、自分たちがその子に注いできた愛情を振り返る。そして最後に、「うちに来てくれてありがとう」と伝えること。
旅立ったあとも、その子と過ごした時間は消えるものではありません。
感謝を伝える時間こそが、ご家族様にとってのお見送りであり、供養の形のひとつなのだと思います。

私自身の役目

北海道の旅でアイヌの文化に触れた時、ペットちゃんの事だけでなく、自分自身の役目についても考えました。
私は、ペットちゃんを亡くされたご家族様のお見送りに関わる仕事をしています。
大きなことができるわけではありませんし、悲しみを消すこともできません。
けれど、ご家族様が大切なペットちゃんを見送る時間に立ち会い、できる限り不安なく、悔いの少ない形でお別れができるように支えること。
それが、今の私に与えられている役目なのかもしれません。
『ゴールデンカムイ』では、主人公の杉元佐一が「役目が終わるまで不死身だ」とされる場面があります。物語の中の表現を簡単に書きましたが、役目があるからこそ、人は前へ進めるのかもしれません。
私自身、いつまでこの役目を果たせるのかは分かりません。それでも、できる限り長く、ペットちゃんとご家族様のお見送りに向き合い、この役目を果たしていきたいと改めて思いました。
ペットちゃんは、ご家族様と暮らすためにこの世へ降りてきた。
そしてご家族様は、その子を迎え、守り、最期まで家族でいるために出会った。
そう考えると、お見送りの時間もまた、ただ悲しいだけの時間ではなく、この家で過ごしてくれてありがとうと感謝を伝え、送り出す大切な時間なのです。

あなたと暮らすために、この世に降りてきた

ペットちゃんとの出会いは、偶然だったのかもしれません。
けれど本当は、カムイがそっと仕掛けた必然だったのかもしれない。
あの子は、あなたと暮らすために、この世に降りてきてくれた。
そう考えると、共に過ごした日々の何気ない一つひとつが、かけがえのない時間だったことに改めて気づかされます。
姿は見えなくなっても、その子が家族に残してくれたものは消えません。
一緒に過ごした記憶や、触れた時のぬくもり、暮らしの中で生まれた笑顔は、ご家族様の心の中に残り続けます。
そして、その記憶は、これから先の人生の中でも、ふとした時に心を支えてくれることがあります。
北海道で触れたアイヌの言葉、文化は、私にとって、ペットちゃんとの共存と供養について改めて考えるきっかけになりました。
「天から役目なしに降ろされたものはひとつもない」
大切なペットちゃんも、きっとご家族様のもとで、かけがえのない役目を果たしてくれているのだと思います。
ペットメモリアル ドマーニでは、これからも静岡県内でペットちゃんとご家族様の生活や、もしもの時に役に立つコラムを綴っていければと思います。

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