
天国の入り口には「虹の橋」と呼ばれる橋がかかっています
かけがえのない絆で結ばれたペットがこの世を去ると
その子は虹の橋へと旅立ちます
虹の橋のたもとには広々とした草原や緩やかな丘が広がり
ペットたちは自由に駆け回り 楽しそうに遊んでいます
食べ物も水も十分にあり 温かな日差しが降り注ぐ心地の良い場所です
病気や老いで苦しんでいたペットたちは健康と若さを取り戻し
傷ついた体もすっかり癒えます
まるで夢で見る過ぎ去った過去のあの子を見ているような・・・
ペットたちは幸せで満ち足りていますが
一つだけ心残りがあります
それは――かけがえのない人
残してきてきてしまった人のことが・・・
ある日突然一緒に遊んでいた一頭が立ち止まり遠くを見つめています
見つめる瞳は輝き始め体は歓喜に震えています
そして緑の草原を風のように駆けぬけていきます
速く 速くと
そうです ついにあなたを見つけたのです
あなたたちはついに再会し 固く抱き合い 二度と離れたりしません
喜びのキスがあなたの顔に降り注ぎ
あなたの手はもう一度愛しい頭を優しく撫でます
長い間離れていたけれど 心から消えることは一度もなかったその瞳が
再びあなたをまっすぐに見つめます
そして あなたたちは「虹の橋」を一緒に渡っていくのです・・・
エドナ・クライン=レーキーが紡いだ詩
「虹の橋(The Rainbow Bridge)」は、スコットランド在住の詩人エドナ・クライン=レーキー(Edna Clyne-Rekhy)によって1970年代に書かれたとされています。
彼女は自身の愛犬を亡くした悲しみの中で、この詩を自らの心を癒すために綴ったといわれています。
長らく作者不詳とされてきましたが、近年になって彼女が作者ではないかと言われ、その名前が広まりました。
この詩の冒頭には「Just this side of Heaven(天国の少し手前)」という一節があります。
つまり、虹の橋は天国の隣にある場所として描かれています。
しかしここでいう天国は、特定の宗教における教義上の世界ではありません。
どの文化でも共通して「安らぎに満ち、苦しみのない幸せな場所」としての象徴です。
仏教では極楽、キリスト教ではHeaven、他の文化でも名前は違っても「穏やかで幸福な世界」という点では変わりません。
虹の橋の詩は、そんな普遍的な「幸せの場所」を背景に、再会の物語を描いています。
宗教を越えても心に届くのは、そこに希望と愛情が込められているからです。
人それぞれの“虹の橋”のかたち

虹の橋は、亡くなったペットが天国の手前であなたを待っていてくれるという物語として知られています。
けれども、その“待つ場所”や“再会の形”は人によって少しずつ違って表現しています。
橋のたもとで再会して一緒に渡ると信じる人もいれば、すでに虹の橋を渡り、天国で穏やかに暮らしていると想う人もいます。
どちらも正しく、どちらも優しい解釈です。
「先に天国で幸せに暮らしていてほしい」という願いは、残された人の思いやりの形です。
愛する存在が安らぎの中にいると想うことは、悲しみを癒すための自然な祈りです。
それは現実から目を背けることではなく、心を守りながら前へ進むための支えになります。
悲しみの中で、想像の世界に温かな居場所を描く。
それこそが、虹の橋が多くの人に受け入れられてきた理由なのだと思います。
誰かが描いたその風景を通して、自分の心に“あの子の居場所”を見つける。
その行為自体がすでに供養であり、再会への希望でもあるのです。
宗教を超えた“優しさ”としての虹の橋
私たちペットメモリアル ドマーニでは、宗教や宗派にとらわれないお見送りを行っています。
それは、虹の橋の物語に込められた精神と深く通じています。
この詩に出てくる天国は、信仰を限定する言葉ではなく、“誰もが心に描く幸せな場所”としての象徴です。
呼び方は違っても、そこに共通しているのは「もう苦しまなくていい場所」「再会できる場所」という願いです。
昔、バイキングたちが想い描いたバルハラのように戦いの延長にある世界ではなく、平和と安らぎに包まれた“永遠の休息”としての天国。
虹の橋は、その手前に広がる希望の丘のような場所として語られています。
無宗教というのは、何も信じないということではありません。
むしろ、どんな考えの人も受け入れ、すべての祈りに寄り添いたいという姿勢です。
虹の橋はまさにその象徴であり、宗教を超えて誰の心にも届く優しさの物語です。
ペットちゃんとのお別れに信仰の形はさまざまですが、「天国で幸せに過ごしていてほしい」と願うその気持ちは共通しています。
宗教的な儀式に頼らずとも、心の中でそう祈ることができる。
それこそが無宗教の供養であり、虹の橋の詩が多くの人に寄り添う理由なのです。

再会を信じること、それが“供養”になる
人は「再会」を信じることで、喪失の痛みを少しずつ和らげることができると考えています。
「もう一度会いたい」と願う気持ちは、亡き子への想いを生きる力に変えるのです。
ご火葬の場面でも、「また会おうね」「虹の橋で待っててね」と声をかけるご家族が多くいらっしゃいます。
中には、「生まれ変わってきてね」とそっと語りかける方もいます。
それもまた、再会を信じる祈りの一つの形です。
姿や場所は変わっても、いつかまためぐり会える。
そう思うことで、悲しみの中にも小さな希望が灯ります。
「虹の橋で待っていてくれる」と想うことも、「また別の姿で帰ってきてくれる」と信じることも、どちらも“つづき”を信じる心に変わりはありません。
虹の橋の詩は、その“つづき”を優しく形にしてくれる存在です。
再会できる日が来るのなら、その時は「ただいま、待たせたね」「お帰り、待っていたよ」と伝えたい。
長い時間を越えてようやく抱きしめ合うその瞬間、きっと涙よりも笑顔が先にあふれるでしょう。
その想像ができるだけで、心が少し軽くなる。
それが、虹の橋という詩の持つ力なのだと思います。
供養とは、想いを整えること
供養という言葉は、亡き存在のためだけに行うものではありません。
大切なのは、残された人が自分の心を整理させていくことです。
手を合わせること、祈ること、写真に語りかけること。
それらはすべて、自分の心を穏やかに保つための行為です。
悲しみを無理に忘れようとする必要はありません。
ただ、手を合わせるたびに心が少しずつ和らぎ、「もう大丈夫」と思える瞬間が訪れる。
その小さな変化こそ、確かな供養のかたちです。
虹の橋を思い浮かべることもまた、心を整える行為の一つです。
愛するペットちゃんが今もどこかで笑っていると想うだけで、前を向く力をもらえます。
お別れは終わりではなく、姿を変えてつづく絆の始まりです。
虹の橋を思いながら、共に過ごした日々を思い返す。
その積み重ねが、悲しみを静かな思い出へと変えていきます。
最後に
虹の橋の詩は、誰の心にもある“愛するものへの想い”をそっと包み込んでくれます。
宗教でも教義でもなく、優しさと希望の詩。
大切なのは、「今もどこかで幸せでいてほしい」と願うその気持ちです。
その想いこそが愛であり、供養の形です。
ペットちゃんとの別れはつらいものですが、虹の橋という優しい世界を思い浮かべることで、少しでも心が穏やかになるなら、その想像こそが祈りであり、供養であり、そして希望なのだと思います。
ペットメモリアル ドマーニは、宗教にとらわれず、それぞれのご家族の想いを大切にしたお見送りを行っています。
悲しみの中にも温かさを感じられる時間を過ごしていただけるよう、静岡県内を中心に訪問ペット火葬を承っております。



