校門に立つ一匹の黒い犬

月曜日の朝、牧之原市の萩間小学校の校門の前には、少し特別な「登校指導員」が立っていました。真っ黒なラブラドール・レトリバーの女の子、ジェイド。その隣には、飼い主の永田さん。校舎に向かって歩いてきた子どもたちは、ジェイドの姿を見つけると、ふっと表情を明るくして「おはよう」「ジェイド、おはよう」と声をかけます。

今回ご縁があり、ペットメモリアル ドマーニでジェイドの火葬をお任せいただき、永田さんがまとめた絵本や、これまでの活動の記録に触れる中で、盲導犬とキャリアチェンジ犬のこと、ペットの幸せのこと、多くの人に関わってきた犬の別れの重さについて、いくつものことを考えました。

ここでは、ジェイドの生き方を一つのきっかけにしながら、「盲導犬になれなかった犬は不幸なのか」「ペットの幸せはどこで測るのか」という問いを整理してみたいと思います。

盲導犬候補として生まれるということ

盲導犬候補として生まれた犬たちは、生まれた瞬間から「誰かの目になるかもしれない」という役割を背負います。ジェイドもその一頭でした。お母さん犬は盲導犬の繁殖のために海外からやって来たラブラドール。兄弟たちには、みな「 J 」から始まる名前がつけられました。

ジェイドという名前には、翡翠(ジェード)のように幸せをもたらす存在であってほしいという願いが込められていたそうです。名前に込められた祈りは、「盲導犬になるかどうか」とは別に、その犬の一生を包む土台のようなものだと思います。

生後数か月でパピーウォーカーの家庭に預けられ、人と暮らすこと、家庭でのルール、街の音や人混みに慣れることを学び、一歳前後になると訓練施設に入って、段差の手前で止まる、危険な場所を避けて案内する、電車やバスに乗るといった実際の「仕事」の練習が始まります。

ここまでは、どの盲導犬候補も同じ道筋を歩みますが、その先は「向き」「相性」によって分かれていきます。頑張ったかどうかではなく、その犬の性格や反応の仕方によって、「どの道が一番安全で幸せか」が選ばれていきます。

キャリアチェンジ犬は「落ちこぼれ」ではない

ジェイドは、訓練の理解も早く、人が大好きで穏やかな性格だったそうです。それでも、盲導犬として歩むことを断念することになった理由は、とても小さな性格の違いでした。猫やほかの犬、鳥などの動物を見つけると、どうしても気になってしまう。好奇心が旺盛で、周りのものに目が行きやすいタイプだったのです。

盲導犬にとって、一瞬の気の緩みは命に関わることがあります。利用者さんとペアになって歩くとき、外の刺激に気持ちを持っていかれてしまう可能性が高い犬に、その仕事を続けさせるのは危険です。

そこでジェイドは、盲導犬を目指すコースから外れ、「キャリアチェンジ犬」という道を歩むことになりました。「なれなかった犬」ではなく、「この子には別の生き方のほうが安全で幸せだ」と判断された犬です。本来の意味でのキャリアチェンジは、落第ではなく、適性に合わせた進路変更だといえます。

見守り犬として出会いを重ねた日々

キャリアチェンジ犬として新しい家族を探す中で、ジェイドは永田さんと出会います。大型犬と暮らしてみたいという思いがあった永田さんは、施設を見学したときにジェイドと対面し、その仕草や表情に心をつかまれたそうです。それからの日々は、海辺の散歩や水遊び、家の中での遊び、穏やかな生活が中心になりました。

やがて「小学生の登校を見守る活動を一緒にやってみませんか」という声がかかり、ジェイドは「見守り犬」として第二のキャリアを歩み始めます。

月曜日の朝、校門に立ち、登校してくる子どもたちを迎える。最初は大きな黒い犬におそるおそる近づいていた子も、何度か頭を撫でるうちに距離が縮まり、いつしか「ジェイちゃんに会いたいから学校に行く」という言葉が出てくるようになります。犬が苦手だった子が一歩だけ前に踏み出せた日もあったでしょうし、転校してきて不安だった子が、まずはジェイドに心を開いたこともあったかもしれません。

普通の家庭犬と比べたとき、ジェイドが生涯で関わった人の数は、明らかに桁違いです。子どもたち、保護者、先生方、図書館での展示を見に来た地域の人たち。絵本や記事を通してジェイドを知った人も含めれば、その輪はいまも静かに広がり続けています。

ペットの「幸せ」はどこで測るのか

盲導犬として活躍することは、もちろん価値のある仕事です。ただ、「盲導犬になった犬は幸せで、なれなかった犬は不幸」というシンプルな図式で考えてしまうと、大事なものを見落とします。

ジェイドの生き方を見ていると、幸せかどうかは肩書きでは測れないと強く感じます。盲導犬という役割にも、その犬なりの喜びや負担があります。一方で、キャリアチェンジ犬として家庭に入り、地域の子どもたちと関わる犬にも、その犬なりの喜びや役割があります。

ペットの幸せを考えるとき、大切だと思うのは、たとえば次のようなことです。
どれだけ名前を呼ばれてきたか。
どれだけの人から大切にされてきたか。
その存在が、誰かの支えや安心になっていたかどうか。

ジェイドは、盲導犬にはなりませんでしたが、見守り犬として驚くほど多くの人に名前を呼ばれ、頭を撫でられ、月曜日の朝を明るくする役割を担ってきました。それは、「キャリアチェンジ」という選択が、この犬にとっての正解だった一つの例だと思います。

たくさんの幸せを配ったぶん、別れは重くなる

ペットとの別れは、どんな場合でもつらいものです。ただ、関わった人の数が多いほど、その喪失感は広がりを持ちます。家族だけでなく、萩間小学校の子どもたち、先生方、図書館でメッセージを書いてくれた人たち。それぞれの中に、「校門のあの場所にいたジェイド」「卒業式で見守ってくれたジェイド」の姿が残っています。

学校では、お別れの会も開かれました。子どもたちはそこで、「もうジェイドとは会えない」という事実をきちんと知らされ、自分なりの言葉や涙でお別れをしています。それでも、月曜日の朝に校門の前を通るとき、運動場の端を歩くとき、ふとした瞬間に「ここにジェイちゃんがいたな」と思い出す子は少なくないはずです。

多くの幸せを配った命ほど、別れは重く、長く尾を引きます。それは残された人にとってはつらいことですが、裏返せば「その犬がどれだけ愛され、必要とされてきたか」の証でもあります。悲しみの大きさは、愛された量の大きさでもあるのだと思います。

「命をもって命の尊さを教える」という言葉をどう受け止めるか

「ペットはその命をもって命の尊さを教えてくれる」という言い方がよくされます。しかし、実際に別れに直面している飼い主の気持ちからすれば、「そんなこと教えてくれなくていいから、もっと長く一緒にいてほしかった」という本音が出てくることもあります。きれいな言葉だけでは収まりきらない感情が確かにあります。

それでも、この言葉に意味を見いだすとすれば、それは亡くなった命に「役割」を押し付けるためではなく、残された私たちが、自分の悲しみと付き合いながら生きていくときの拠り所として、そっと手に取る言葉なのだと思います。

ジェイドの場合、「命の尊さ」は亡くなった瞬間に突然現れたものではありません。長い時間をかけて、毎週の登校、子どもたちの成長、年を重ねて足取りがゆっくりになっていく様子、そのすべてが、周りの人に少しずつ伝えてきたものです。最後の別れの場で、それらが一気に押し寄せるからこそ、私たちは「命って重い」と感じるのではないでしょうか。

命は終わり際だけで尊くなるのではなく、生きているあいだじゅう、誰かとの関わりを通して尊さを発揮し続けています。「命をもって命の尊さを教える」という言葉は、その積み重ねをあとから振り返るときに、ようやく少しだけ意味を持つのかもしれません。

大好きだった海での最期のお見送り

ラブラドール・レトリバーは、本来、水鳥猟で撃ち落とされた鳥を回収する、水辺の仕事をしていた犬種だと言われます。ジェイドも水が大好きで、相良の海岸でよく泳いでいました。波打ち際からまっすぐ沖へ向かっていく黒い背中は、レトリバーらしい、生き生きとした姿そのものだったそうです。

そんなジェイドは、大型犬としては超高齢と言える十五歳六か月まで生きました。人間にたとえれば、ちょうど百歳に届くかどうかという年齢です。見守り犬として長く活動し、その後も年を重ねた体でゆっくり散歩をしながら、家族と静かな日常を過ごしていました。

お見送りの日は、小春日和の、冬の始まりの穏やかな一日でした。風も穏やかな、海も静かで、季節の境目のやわらかな空気が流れていました。火葬は、ジェイドが何度も泳ぎに来た、の相良の海を望む浜で行いました。

火葬炉へと送り出す瞬間、永田さんの「まっすぐ逝けよ!」というひと声が、静かな浜辺に響きました。「ありがとう」では追いつかないような、長い時間を一緒に過ごしてきたからこそ出てきた感情が、その短い言葉にぎゅっと詰まっているように感じました。

ペットメモリアル ドマーニとしてその場に立ち会いながら、一匹の犬の一生を締めくくる言葉として、これ以上ないくらいシンプルで、まっすぐな送り方だと感じました。いま一緒に暮らしている愛犬・恵比寿のことも、いつか見送るときに、自分はどんなひと言をかけられるだろうか、ペットの幸せとは何なのか。――ジェイドのお見送りは、そんなことを考えさせられる時間でもありました。

YouTubeチャンネル 大人の絵本 読み聞かせ 見守り犬 ジェード 

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