はじめに
大切なペットちゃんとの別れに直面したとき、「どのように供養すれば良いのだろう」と迷う方は少なくありません。
人間に向けて発展してきた宗教儀礼を、家族同然のペットにそのまま当てはめて良いのか。あるいは、無宗教的な形で送り出すのが自然なのか。
日本におけるペット供養を考えるには、各宗教が動物やペットをどのように位置付けてきたのかを整理することが大切です。
ここでは仏教・キリスト教・イスラム教・神道の考え方を紹介しながら、静岡を拠点に無宗教の訪問ペット火葬を行うペットメモリアル ドマーニの立ち位置についても触れていきます。

仏教におけるペット供養
仏教には「六道輪廻」の教えがあり、動物は人間道から外れた「畜生道」に属するとされてきました。つまり伝統的には人間より下位に置かれてきたのです。
しかし一方で「すべての命に仏性が宿る」とも説かれ、人も動物も仏になり得る存在とされます。
この柔軟さは日本の仏教に強く表れています。寺院には動物供養碑が建てられ、ペットの合同供養祭が行われるなど、僧侶が読経し、飼い主が焼香や合掌をするスタイルが一般化しました。
静岡県内でも多くの寺院がペット供養を受け入れており、仏教は「家族の一員として送りたい」という願いを支える宗教的な土台になっています。

キリスト教におけるペット供養
キリスト教の伝統的な神学では、人間は「神の似姿」として特別な存在であり、永遠の魂を持つのは人間だけとされます。動物には人間と同じ意味での魂はないと解釈されてきました。
そのため「ペットが亡くなったら天国で再会できる」という考えは教義上必ずしも保証されていません。
しかし現代の欧米では、飼い主の悲しみに寄り添うために「天国でまた会える」と説く牧師や神父も増えています。厳密な教義を越えて、ペットを家族として慰める供養の言葉が広がっているのです。

イスラム教におけるペットと動物観
イスラム教では、動物は「アッラーが創った大切な被造物」として尊重されます。むやみに殺したり虐待したりすることは罪とされ、動物への慈しみは信仰者の徳目の一つです。
特に猫は清浄な動物とされ、家庭に溶け込む存在として受け入れられてきました。預言者ムハンマドが愛した猫「ムエザ(Muezza)」の逸話が有名で、袖の上で眠るムエザを起こさないよう、自分の衣の袖を切り取ったと伝えられています。この話はイスラム世界で広く知られており、「猫は清浄で祈りを妨げない存在」とされる背景になっています。
一方で犬については不浄とする解釈が主流で、飼育は牧羊犬や猟犬といった実用目的に限られる場合が多いとされます。ただし現代では犬をペットとして飼う人も増えており、地域や文化によって実情は異なります。
また、ペットの死後についてイスラムには明確な供養儀礼が定められているわけではありませんが、亡くなった動物を丁重に埋めて害を避けることは望ましいとされています。信仰者にとって大切なのは、アッラーが与えた命への敬意を忘れず、慈しみをもって見送ることだと考えられます。

神道におけるペットと死後観
日本古来の神道は「八百万の神」という考えを持ち、あらゆるものに神が宿るとされています。人は死後に祖霊・神となり、動物もまた御霊として祀られる存在とみなされてきました。
静岡県でも動物を祀る文化が各地に残っています。磐田市の見付天神・矢奈比賣神社(やなひめじんじゃ)には「霊犬悉平太郎(しっぺいたろう)」の伝説が伝わり、妖怪を退治した犬として祀られています。境内には霊犬像が建てられ、災難除けや無病息災を願う参拝者が今も訪れています。

また、御前崎市には「猫塚」や「ねずみ塚」と呼ばれる小さな供養の跡も残されており、身近な動物への感謝や畏れを形にしたものです。こうした伝承は、静岡の地で古くから動物を人と同じように祀る感覚が息づいてきたことを示しています。
私たちペットメモリアル ドマーニがある静岡県は、このように動物を尊ぶ文化が深く根づいている土地です。神道の「自然とともに生きる」「すべての存在を尊ぶ」という死生観は、現代のペット供養にも深く結びついています。霊犬伝説や塚に見られるように、動物が祀られてきた歴史は、家族の一員であるペットを大切に送りたいという思いと重なっているのです。
日本の宗教文化の柔軟さ
日本は長い間、神道と仏教が混ざり合う神仏習合の歴史を歩みました。
「すべてに神が宿る」という神道的な感覚が基盤にあるため、仏教の「畜生道」という厳しい区分もやわらかく受け止められ、ペット供養が自然に広がったのです。
この背景があるからこそ、現代の日本では宗教的な教義よりも「家族としてどう送りたいか」という気持ちが優先されやすいと言えます。
現代日本のペット供養の実情
今の日本では、無宗教的なペット供養を希望する方が増えています。
しかし完全な無宗教ではなく、手を合わせたり線香をあげたりといった仏教や神道に由来する習慣は自然に受け入れられています。
静岡県内でも、寺院での供養、神社での祈願、そして無宗教の訪問火葬など、さまざまな選択肢があります。どの形であっても「ペットを大切に思う気持ち」が中心にあるのです。
ペットメモリアル ドマーニの立ち位置
ペットメモリアル ドマーニは、静岡県牧之原市を拠点に「無宗教での訪問ペット火葬」を基本としています。
ただし日本の文化的背景を踏まえ、「差し支えなければお線香をあげてください」とご案内しています。お線香の香りや煙には心を落ち着かせ、祈りを形にする力があるからです。
私自身も、手を合わせるときに「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」といった宗派特有の言葉を唱えることはありません。ただ静かに心の中で「安らかに」と祈ります。
宗教の違いよりも、ご家族がどのような思いでペットを送りたいかを大切にしています。

おわりに
宗教ごとにペットの位置づけは異なります。
仏教では六道の一つに数えられ、キリスト教では人間と区別され、イスラム教では尊い被造物として尊重され、神道では御霊として祀られる。
しかし現代の日本では、宗派にとらわれず「家族としてペットを送る」供養の形が広がっています。
ペットメモリアル ドマーニは、無宗教のペット供養を基本としながらも、日本の宗教文化の柔軟さを尊重し、静岡の地で安心できるお見送りをお手伝いしています。
最後に込められるのは「ありがとう」と「安らかに」という気持ちであり、それこそが宗教を超えて共通する供養の本質だと信じています。
また機会があれば、仏教・神道・キリスト教・イスラム教など各宗教におけるペット供養の実情をさらに詳しく調べ、静岡県内での現場の実例も踏まえながら、改めてコラムとして発信していきたいと思います。


